さわかみオペラアカデミー第3期始動|若き歌手たちが「舞台で仕事をする」ために
2026.06.01
2024年4月に澤上会長と武井基治さんの発案で開講した「さわかみオペラアカデミー」は、このたび第3期を迎えます。
第1期、第2期から継続して学ぶアカデミー生も含め、大阪校・東京校を合わせて30名での新たなスタートとなります。第1回の授業では、まず一人一曲ずつ歌っていただき、その後、武井さんの先導のもと、アカデミー生の発声チェックを行いました。そこから、それぞれの課題を見つめながら、今後の学びの方向性を少しずつ定めていきます。
今回は、第3期が動き出したこの機会に、私たちさわかみオペラ財団が、アカデミーで何を考え、どのような思いで指導に向き合っているのかを書いてみたいと思います。

このアカデミーは、若い歌手たちが、学びの場から実際の舞台へと歩みを進めるための実践的な育成の場です。
日本で専門的な教育を受け、すでに演奏活動を始めている歌手たちが、さらに現場で求められる力を身につけていくことを目指しています。イタリアで言えば、音楽院を終えた後にさらに専門性を高めていく【Corso di perfezionamento】に近い性格のものだと思っています。つまり、学生として学ぶ段階から、職業として舞台に立つ段階へ進むための橋渡しです。
オペラ歌手に求められる力は、持って生まれた声の美しさだけではありません。ベルカントに基づいた発声、音楽への理解、イタリア語の発音と意味、舞台上で役として存在する力、稽古場での姿勢、そして観客の前で責任を持って歌う覚悟。それらが結びついて初めて、歌手は舞台上で本当の意味で仕事をすることができるのかもしれません。もちろん、日本の音楽大学や大学院を修了した歌手たちの中には、すぐにプロとして舞台に立っている人もいます。しかし、そこから先、オペラの現場で継続して求められ、共演者から信頼され、観客にもう一度聴きたいと思われる歌手になるまでには、やはり長い時間がかかります。
稽古場や舞台の中で試し、時にはうまくいかない経験もしながら、少しずつ自分のものにしていく。その積み重ねの中でしか育たない力があるからです。さわかみオペラ財団が向き合っているのは、まさにその部分です。

第1期、第2期を通じて、アカデミーでは国内での継続的なレッスンと、イタリア研修を一つの流れとして重ねてきました。
アカデミー生たちは、発声、音楽、イタリア語、舞台表現に取り組みながら、それぞれの課題と向き合っています。私自身も第1期の途中から講師として加わり、武井さんや、イタリア語講師のFulvio Savoneさんとともに、アカデミー生が何に悩み、どのような力を身につけるべきかを見つめ、議論し、実践してきました。
イタリア研修は、現地の講師陣や聴衆の前で自身と向き合い、広い世界で自分の現在地を知る貴重な機会です。Maestro Vincenzo De Vivo、Maestra Ala Simoni、Maestra Veronica Simeoni、Maestra Wei Jiang、Maestro Sergio Vitale、Maestra Carmela Remigioといった一流の講師陣、そして歴史あるCasa Verdiの聴衆を前に歌うことで、アカデミー生一人ひとりが、今までの学びがどこまで届き、何がまだ足りないのかを肌で感じることができているようです。
イタリア人の前で、イタリア語でオペラを歌うことは、想像以上に厳しい経験です。発音の正確さだけでなく、言葉の流れが自然であるか、音楽の様式を理解しているか、舞台上でその人物として存在できているか。一つひとつが問われます。しかし、その厳しさやプレッシャーは、若者を突き放すためのものではなく、これまで積み重ねてきた学びを、より確かなものにするための確認の場でもあります。そこで見えてきた課題を再び日本に持ち帰り、次の歌唱へとつなげていく。その往復の中に、さわかみオペラアカデミーならではの学びがあると思います。

私は長年、イタリアの劇場で仕事をする中で、多くのオペラ歌手と出会ってきました。その中で痛感してきたのは、才能だけでは仕事につながらないということです。声が良いことはもちろん大切ですが、それだけで劇場の扉が常に開くわけではありません。劇場という場所は、若い才能を歓迎する一方で、その人が本当に現場の中で生きていけるのかを、厳しく見ています。

このアカデミーの中心的存在である武井さんと出会ったのは、彼がさわかみオペラ財団のイタリア留学助成対象者選抜オーディションの一期生として、2015年に渡伊した時でした。
当時、彼はトリエステ歌劇場のDirettore GeneraleであったMaestro Antonio Tasca氏から「自然とシチリアの歌い回しを身につけた才能」と評価されるほど、豊かな音楽性と歌唱力を備えていました。それでも、イタリアの劇場で仕事を続けていくためには、馬蹄形の劇場に合ったイタリア式の歌い方をさらに探究すること、オーディションで自らの個性を示すこと、稽古場で指揮者や演出家の意図を汲み取り、それに応えること、劇場で同僚やスタッフと信頼関係を築くこと、そしてイタリア語で相手を理解し、自分の考えを伝えることが求められました。
私はその時期、劇場関係者と幾度も意見を交わしながら、彼がイタリアの現場で何を求められ、どのように成長していくべきかを共に考えてきました。私自身の経験も伝えながら、彼が一つひとつの課題に向き合い、現場で信頼されるテノール歌手へと歩みを進めていく姿を近くで見てきたからこそ、武井さんがこのアカデミーに込めている思いに、私は深く共感しています。若い歌手たちが将来直面する課題を、できるだけ早い段階で伝えていきたい。武井さんと密に議論を重ねているのも、まさにそのためです。
私たちが育てたいのは、技術だけではなく、歌手が舞台に立ち続けるための「自立できる力」。そこに特別な近道はないと考えています。一人ひとりの声と向き合い、課題を見つめ、時間をかけて積み上げていく。その地道な営みを、これからも大切にしていきたいと思います。

第3期の始動にあたり、私たちさわかみオペラ財団は、これまでの経験を踏まえ、より実践的で、より本質的な学びの場をつくっていけたらと思います。第1期、第2期で得た経験を、単なる成果として終わらせるのではなく、第3期のアカデミー生たちに引き継ぎ、アカデミー全体の学びをさらに深めていく土台にしていきたいと考えています。ただ、その学びを続けていくためには、それを支える環境を整え続けることも必要です。
アカデミー生の多くは、歌の仕事や副業と両立しながら、限られた時間の中で懸命に研鑽を重ねています。誰もが十分な余裕の中で学んでいるわけではありません。それでも、自分の声と言葉を磨き、舞台の現場で信頼される存在になろうと努力を重ねています。私たちは、その歩みをできる限り支え、いつか彼女たち、彼らが日本各地の舞台、そして世界の劇場へと進んでいくことを心から願っています。この学びの場を継続し、さらに充実した研修へと発展させていくため、今年度もクラウドファンディングの実施を予定しています。
若い歌手たちの挑戦を、皆さまと共に支えていくことができれば幸いです。
指揮者|山崎隆之




