観劇レポ|野外オペラ「トロヴァトーレ〈吟遊詩人〉」—炎の復讐劇—
ジュセッペ・ヴェルディ中期の傑作、オペラ「トロヴァトーレ〈吟遊詩人〉」~炎の復讐劇~を世界遺産法隆寺で上演。回廊に包まれた大講堂の前に特設ステージを設置、夜の法隆寺に照明がライトアップされ幻想的な空間が生まれました。
「ジプシー」と法隆寺の出会い
法隆寺は、インド出自の大乗仏教が東進し辿り着いた日本で、仏の慈悲を体現し民衆に広めた寺院だ。他方、〈ロマの人々〉ないし「ジプシー」は、エジプト出自と誤解され続けてきた(エジプト→ジプシー)が、インド出自が歴史的事実とされている。彼らはインドから西に向かい、スペインから東欧に向かって流浪の旅を重ねていった。
ヨーロッパの階層社会の最底辺で蔑まれ暮らしている人々を、ヴェルディは万感の共感(Empathy)を持って、アズチェーナに体現させ、その悲劇を「イル・トロヴァトーレ」で描いた。インドから西に向かった「ジプシー」が、東に向かった大乗仏教と法隆寺にて出会うというドラマが、この野外オペラで実現したと言えよう。
緊密な屋外空間と音の空気感
オーケストラの音、歌手と合唱の歌声は、オペラハウスという人工的に作られた空間から、自然と寺院に囲まれつつ自然と共鳴する空間に放たれた。神々の前で能を捧げる舞台に似て、寺院の中庭で、いわば仏にオペラが捧げられた、という稀有な出来事が生まれ、心に深く刻まれていった。ヨーロッパの野外オペラの会場は、例えばヴェローナの円形闘技場のように、数万人もの人々を収容でき、剣闘士や猛獣の試合が繰り広げられた、血塗られた場所だった。これと対照的に、法隆寺は人と自然の命を弔い、人々の成仏を希求する空間だ。
大乗仏教は、己の悟りを開くだけでなく、生きとし生けるもの全ての命を尊び、その菩提を弔う。舞台は大講堂を背景に、オーケストラを配置。その後方で、五重塔と金堂を背にし、全体は回廊に取り囲まれた空間に観客席を設けたしつらえとなっている。3万人収容の巨大なヴェローナの舞台と対照的に、数百人が観客となる屋外の小空間で、観客には声と音が十分に届き、オペラの空気感が漂い十分それを感じることができる稀有な空間だ。
歌手と演奏
夕暮れ前にいよいよ演奏が始まった。次第に黄昏れ、闇に包まれる中で、吉田マエストロの情熱的かつデリケートで意志を感じさせる指揮の下、緊迫感に満ちたモデナ・パヴァロッティ歌劇場フィルの演奏が展開されていく。音たちは大きすぎない自然なアート空間に漂い、聴衆の心に染み渡っていく。ルーナ伯爵役アルベルト・ガザーレの威圧的な威厳の表現、レオノーラ役ラナ・コスの品性と美声、そして何よりもアズチューナを演じるマリア・エルモラエワの真実性に満ちた歌声、マンリーコ役のディエゴ・ゴドイの凛とした意志力、どれも見事な歌唱で、総じて威圧的でなく共感的な歌唱は特筆すべきだった。
闇と光の演出―仏の光
このオペラは、どの幕も暗い時刻の戸外の設定で、暗闇の中、ドラマが進行していく。それを意識的に活かしたのが、ジャン・ポール・カッラドーリの照明・舞台デザインであり、またダンサーの効果的な踊りだった。さてドラマの進行の中、最後に特別の光が待っていた。それが大講堂の中の仏の光だ。光と闇の演出は、暗闇から浮かび上がる仏像の光で頂点に達し、アズチェーナが成仏するという救いを暗示させる。
法隆寺境内の中心に銅製の桂昌院燈籠がある。江戸幕府三代将軍家光の妻で綱吉の母である桂昌院は、仏門に深く帰依し、東大寺大仏殿、法隆寺、唐招提寺などの修理に力を注いだ。命を尊び菩提を弔う心は、綱吉の「生類憐れみの令」に影響を与えた。ラストシーンで舞台背後の大講堂に光が差し、中央に薬師如来、左右日光・月光菩薩を配した薬師三尊像の姿が鮮やかに照らし出される。アズチェーナとマンリーコは成仏し癒やされた。 (寄稿:伊藤宏一|千葉商科大学人間社会学部教授・哲学者)
公演名
オペラ「トロヴァトーレ〈吟遊詩人〉」~炎の復讐劇~
開催日程
2023年5月18日、19日、20日、21日
開催会場
法隆寺特設ステージ(奈良県)
主な出演
【ROSSO(18日、20日出演)】ルーナ伯爵:アルベルト・ガザーレ/レオノーラ:ラナ・コス/アズチェーナ:マリア・エルモラエワ/マンリーコ:ディエゴ・ゴドイ【BIANCO(21日出演)】ルーナ伯爵:マルチェッロ・ロジェッロ/レオノーラ:クラリッサ・コスタンツォ/アズチェーナ:シェイ・ブロホ/マンリーコ:武井基治【全日程出演】フェッランド:アレッサンドロ・アビス/イネス:原璃菜子/ルイス:後田翔平/老ジプシー:藤山仁志|指揮:吉田裕史/演出:フランチェスコ・ベッロット/照明デザイン:ジャン・ポール・カッラドーリ/演奏:モデナ・パヴァロッティ歌劇場フィルハーモニー